喪に服す

 

 先日、友人が亡くなった。

 享年二十六、彼女は私や夫と同じ職場に勤めていた同期だった。

 日曜日の夕方になると、私はウォークインクローゼットの戸を開けて滅多に入らない奥へ進み、真っ黒な服のありかを探した。包みは少し埃をかぶっていた。寒い夕方だった。コートを羽織って行くかどうか迷いながら喪服に袖を通し、夫と連れ立って通夜へ向かった。葬儀場は小山の斜面に建ったような綺麗な場所にあった。駐車し、入口へ向かうと、早速職場の仲間に会ったのでお疲れ、と言い合った。彼も同期だ。お調子者の類なのに、どういったテンションで何の話題を振れば良いのかわからない、奇妙な空気がそこにあった。

 私はそれから夫とその同期と並んで、親族の方々とは逆の席に座った。同じ職場の仲間や上司など、知った顔も次々に着席していった。その中には、最近結婚したばかりの友人夫婦の姿もあった。夫婦として出席する初のイベント事が、まだ二十代半ばの友人の通夜だなんて、一体誰が想像できただろう。

 会場にはあまりにも明るい洋楽が流れていて、飲食店向き有線放送のヒットチャートでも流しているのかと一瞬焦った。しかし、考えてみればそれは自然なことで、彼女はテイラー・スウィフトやアリアナ・グランデのファンでアメリカ音楽界のトレンドが好きな女の子だった。アメリカのドラマ「グリー」の楽曲をよく聞いていた。そんな彼女の趣味を知っている両親の計らいだったのかもしれない。死から非常に遠いところにあるポップなラブソングが、静かで厳かな葬儀場に響く。ちぐはぐで、非現実的な空間だった。

 彼女は純粋な心を持った優しい女性だった。正面では彼女の写真が黙って私達に微笑みかけていた。夕方だからかコンタクトがうまく機能してくれず、ぼやけていてよく見えなかったが、私の記憶にある彼女の笑顔と輪郭が一致した。今は間違いなく彼女の葬儀だった。

 そのうちに通夜が始まり、終わった。最後の喪主挨拶の際、マイクを握ったのは彼女の父親だった。私は彼女の母親には何度か会ったことがあったが、父親のほうはその時に初めて見た。想像より若く、部下には厳しいが娘には甘そうなどこかの課長といった風貌だった。

 彼女の父親はありきたりな挨拶を述べた。そのまま終わりかと思った。良かった、このままなら泣かずに済む。私は思った。彼女の父親は続けた。

「娘も就職し三年が経ちました。持病はあったものの、よかったと安心していた矢先でした。まさか、娘の葬式をすることになるなんて」

 私の後ろの席の女性が、堪え切れないように鼻を啜った。

「もっと長生きしてほしかった。思うのはそれだけです」

 彼女の父親はもう言葉を続けることが出来ず、天井を仰ぎ、詰まった声で礼だけ告げた。いよいよ私も涙を堪えられなかった。

 葬儀場を去る際、参列者を見送る彼女の両親に何と声をかけるべきか悩んだ。結果、何も言えなかった。彼女の母親は、私に頭を下げるときに「ありがとうございました」と泣きながら目を合わせてくれた。こんなに胸が張り裂ける光景を他に見たことがなかった。

 焼香の待ち時間のあいだ、私は、この通夜の前に参列した他の人物の通夜のことを思い出していた。彼は半年だけ私の上司だった。高齢ではあったが、映画「キングスマン」のコリン・ファースのような高級感のある英国紳士の雰囲気をした男性で、寡黙ではあったがそれはそれは人望があり、仕事となれば機敏に華麗にこなす尊敬すべき方だった。いつもシワひとつないスーツに身を包んでいた。彼は役職も役職だったので、広大な葬儀場に次々と重職や何かの長が集まり、感心してしまうほど立派に通夜が行われた。

 そこでの喪主は、奥様だった。保育園の園長をしていた小柄な彼女は、大勢の参列者の前で涙一滴見せず、挨拶の中でこう残した。

「口数は少なくても、傍にいてくれればそれで良かった」

 最愛の人を送る悲しみはいかほどだろう。

 世界で一番愛した娘を、夫を、直立して弔う痛みはどれほどのものだろう。

 帰宅途中、運転席の夫が「できるなら来世で、と思うよね」と呟いた。

 死の実感はいつも遅れてくる。祖父を亡くしたときもそうだった。自分の実家に救急車が止まり、窓から救急隊員が入って来て、祖父に心臓マッサージをしているときも、病院で「ご臨終です」を遠くに聞いたときも、葬式の間も、まるで他人事のように何が現実になってしまったのか理解できなかった。麻痺した心にきちんと悲しみが訪れてくれたのは、全てが片付いたあと、ベランダに干しっぱなしにしてあった祖父の股引を取り込んだ瞬間で、私は大好きだった祖父のぬくもりを感じながら股引を涙で濡らした。その人はもういないのに、その人の服だけが残る残酷さを恨んだ。いっそ生きた跡さえも一緒に消してくれれば良かったのに。私は祖父にもう会えない。

 友人の彼女の死の実感は、まだ湧いていない。彼女ともう一緒にコスメを買いに行けない。もう一緒にディズニーランドへ遊びに行けない。もう一緒に仕事帰りにご飯に行けない。それなのに私の家には、彼女と一緒に買った化粧品や服が残っているし、インスタグラムの投稿をさがのぼれば彼女との写真が普通にある。私はもう彼女に触れることすらできないのに。

 誰もが一度は考えたことがあるはずだ。人は死んだらどうなるのだろう。どうしてあの人が死なねばならなかったのだろう。あの人は今どこにいるのだろう。

 祖父が亡くなったとき、私は祖父の遺骨の前に正座をしても祖父の気配を感じることができずにいた。しかし、部屋でひとり祖父のことを思っていると、妙にあたたかい気持ちになることがよくあった。まるで誰かが寄り添ってくれているかのような。その熱は、幼い頃、習字教室から帰宅して真っ直ぐ祖父に完成品を見せると「上手くなったね」と褒めてくれた笑顔のような、毎朝マーガリンを塗ったトーストと味噌汁を食べていた祖父の細い背中のような、戦時中の経験を語ってくれた祖父の言葉のような、そんな愛しさと類似していた。

 今、彼女のことを思っても、彼女が傍にいるような感覚にはならない。きっと彼女は、彼女のより大切な人々の隣にそっと座っているのだと思う。それでいいと思う。私も祖父に支えられた。彼女は私達の心の中で生き続けるのです、なんて綺麗事はまだ言えそうにないが、いつかまた彼女と一緒にディズニーランドへ行こう。ちょうど来春には、美女と野獣の城もオープンするのだ。