パノプティコン・レミング(2020)

 :本編

 :サイドストーリー 

 

 【第一話 鳥海 麻子】

 

 前途多難。

 フォトショップが少し使えるという理由だけで「バンドのポスターを作ってくれないか」と言われ、急遽、講義後に彼らの練習場所へ向かうことになった。

 麻子あさこは気が重かった。

 入学後、ずっと何のサークルにも入らず何のアルバイトもせず、勉強だけをしてきた麻子にとって、教授や学科の知り合い以外と関わりを持つ行為はあまり魅力的ではなかった。成績が下がったら進路に響く。そのうえ、軽音楽などの活動をするようなテンションの高い賑やかな人たちはいっそ苦手であり、できるだけ存在に気付かれずに平穏な大学生活を送り続けたかった。

 講義で行われたグループ分けでたまたま一緒になった中沢ゆめに、「そういえばさあ、鳥海さんって絵上手いんでしょ?」と言われ、嬉しくなってうっかりフォトショップの話をしてしまったのが運の尽きだった。フォトショップで何をしているかといえば、決しておしゃれなポスターなどを作成しているわけではなく、好きなアニメの二次創作漫画を描いているだけなのだ。そりゃあ、何も知らない人よりは使いこなせるのかもしれないが、実在する人物の写真を使って、道端にどーんと掲示するようないいものを作った経験などない。

 しかし、中沢ゆめにとってはフォトショップを使えるという事実はそれだけの意味しか持たないので、麻子が必死にポスターなんて無理と言っても聞いてはくれず、あっという間に同じ講義に出ていた仁平さとしを呼んできてしまった。

「聞いて聡、鳥海さん、フォトショップ使えるんだって。やばくない?」

 中沢ゆめが言うと、仁平聡も「へー。やば」と言った。

 一体何が「やばい」のかわからない。人を呼んできて話を大きくされていることに戸惑い、申し訳ない気持ちになった。

 中沢ゆめがなぜ仁平聡を呼んだのか、最初は理解できなかったが、会話を聞いていると二人は同じバンドチームに所属しているようだった。大学のサークル活動としての軽音サークルではなく、結構本格的に活動している有志の集まりらしい。

 麻子は気落ちした。麻子自身とは違い、中沢ゆめや仁平聡は大学の中心に君臨しているようなグループの一員で、いわゆるスクールカーストではトップにいる二人だった。普段は全く話さないし正直、こわい。こちらが地味すぎて人間として相手にされていないような気がする。中沢ゆめは誰とでもニコニコと話してくれるので、押しの強ささえなければ平気だが、仁平聡は不愛想だし喫煙もしているしで、得体が知れないので距離を保ちたかった。この二人と一緒にバンドをやっている人なんて、きっと皆同じような人達なのだろう。

「ね、鳥海さんお願い! うちら次のライブのポスター作れる人いなくて、困ってたんだよね。プロに頼むお金もないし、やってくれたらめっちゃ嬉しいんだけど」

 中沢ゆめはマスカラでバチバチに持ち上げた睫毛をしぱしぱさせながら、言った。

 あわあわしているうちに麻子は講義後に約束を取り付けられ、とりあえずポスターに収まる予定のメンバーと会うことになったのだ。

 彼らの活動拠点は、駅前の大通りから少しそれた、居酒屋やちょっとした店舗が密集する細い道沿いに位置している、数階建ての狭そうな建物だった。昔は何かのテナントが入っていたのかもしれないが、今は特に何にも使われていないように見えた。そこの五階が彼らの拠点らしい。

 麻子が着いたときにはすでに相当賑やかだった。ギターの弦が弾かれる音も聞こえる。麻子はため息をついた。心底このまま回れ右をしたかったが、約束を破るのは良くないし、と自分に言い聞かせ、そろりそろりと戸を開けた。

 

 *

 

「誰か俺のチューナー取って」

「どこにあんの」

「ねえ、早くやっちゃおー」

「次のライブハウス、音響クソらしいぞ」

「まじで? どこ情報それ」

 知らない人達が知らない会話を繰り広げているのを横目に、麻子は部屋の隅のほうで小さく椅子に座った。場違い甚だしかった。あんなに頼み込んできた中沢ゆめも、ギターに触れると突然麻子のことなど忘れ去ってしまって練習に興じている。誰も「何してんの?」とか「誰?」とすら声をかけてくれない。

 居心地悪く縮こまっていると、ペットボトルの水を飲んだ仁平聡が一瞬だけ麻子を見たが、すぐに興味をなくし、通り過ぎざま傍にいたゆめに声をかけた。

和音かずねは? 遅くね」

 ゆめは首をかしげ、わからないと意思表示をした。

「あいつのことだし、遅刻はしないでしょ。すぐ来るよ」

 ゆめは鼻歌を奏でていた。知らない曲だ。

 それから数分が経過したとき、ギターの形をした荷物を背に抱えた青年がやって来た。

「和音。おせぇぞ」

 聡が言い、到着した男性に歩み寄る。和音は苦笑した。

「ごめん。ゼミが長引いちゃって」

 他のメンバーがみな明るい髪色の中、彼だけが黒髪だった。なんとなく目を引く人だ。

 和音は背負っていた楽器を下ろすと、部屋の奥へ移ろうとして顔を上げた瞬間、足を止めた。隅の椅子に猫背で座っている麻子を見て、怪訝な顔をする。

「え、聡。ちょっと」

 呼ばれた聡は、和音の口元に片耳を寄せて彼の潜められた声を聞き取り、「あぁ、ポスター作ってくれる人」「知らん」「なんだっけ、鳥海? さん、だったっけ」などと答えた。ついそちらを見てしまった。

「ポスター作れる人いたんだ? 良かったじゃん」

 和音は麻子と目が合っても気にせず微笑みかけ、軽く会釈をしてきた。

「黒澤和音っていいます。よろしく。聡たちと同じ大学?」

 麻子はコクコクと頷いた。

「へぇ、学部は? ゆめと一緒?」

 こちらに全く興味が向かない空間にただ座っているのも辛抱が必要だったが、急に興味を向けられるのも戸惑った。和音は嫌味なく傍のアンプに腰掛け、子犬のような目で麻子に次々と話題を振った。隣では聡が眉を寄せながら「和音、練習」と声をかけていたが、和音はそれより麻子の生態のほうに興味があるらしかった。

 和音いわく、このバンドはボーカルでありリーダーである聡から発足したらしい。聡は幼馴染であるゆめにまず声をかけ、元々アコースティックギターが趣味だった彼女がギター担当になった。ドラムはほぼプロで活動している社会人が担当している。彼は他のドラムの仕事もあるうえ、もうひとつのバンドのドラムも務めているので、なかなか一緒に練習はできないようだ(和音は「ドラムとかキーボードできる人って少ないからね。貴重な力だよ」と眉を下げて笑った)。

 そしてベースが和音だ。和音は麻子や聡やゆめとは別の大学に通っている同級生だ。大学名を尋ねて驚いた。麻子は絶対に勉強のコツを教えてもらおうと誓った。アルバイト先がゆめと一緒だったようで(今は二人とも辞めている。バンド活動での稼ぎがあるからだ)、一緒に活動する流れになったらしい。

 それから、ゆめを通して改めて紹介してもらった後、麻子は彼らの練習を見学することにした。

 練習していたのは聞いたことのない曲だった。先ほどのゆめの鼻歌が耳によみがえる。これは、彼らの何曲目かになるオリジナルソングらしい。作詞作曲は聡が行っているようだ。

 普段聞かない爆音が体を揺らした。聡の声は力強く、安定している。緩くパーマのかかった金髪から汗が飛び、流星のようにチカッと輝いた。細身の黒いパンツが躍るように動き、音符の流れに乗る。ドラムの音は録音したものを流していた。そこに重ねるようにギターとベースの音が鳴る。普段へらへらしているゆめが、楽曲の開始と同時に急にキリリとした表情になりギターをかき鳴らす様は唾を飲むほど凛々しく、人懐こい犬のような印象だった和音が、筋肉と血管の浮いた腕を駆使し腰の辺りで弦を弾く様子は、目を反らしてしまうほど色気があった。

 その夜、麻子は初めて実写の写真を使ってポスターなるものの作製に取り組んだ。我に返ったときには朝になっており、新聞配達のバイクの音に驚いたが、なんとか人に見せられる程度まで持っていけたと思った。

 麻子は、ポスター作成用にもらったバンドメンバーたちの写真のうち、和音が写っているものだけを複製して自分のパソコンにこっそり保存した。次に彼らの練習部屋に向かうときには、もう少しきちんとメイクをしていこう、と誓った。

 

【第二話 黒澤 和音】

 

「よーっす」

 陽気に挨拶などしてみながら扉を開けたが、練習部屋には一人の女性しかいなかった。

「麻子ちゃん」

「か、和音くん」

 和音がお疲れ、と手を振ると、麻子は座っていた椅子が突然熱くなったかのようにパッと立ち上がった。座ってていいよと言っても聞かず、なぜか鞄を抱き締めて立ち続けた。

 麻子はポスター制作の一件以来、マネージャーのような役目を引き受けてくれていた。ライブハウスの予約、諸々の経費や収入などの会計管理、スケジュール調整、そしてポスターやチケットのデザイン考案など、真面目で器用な彼女はそつなくこなした。ゆめの提案で、こんなに仕事をしてくれているのだからと、先月から活動収入の一部を麻子にも支払うことになった。これで正式なメンバーというわけだ。表舞台に立つわけではないが、メンバーにとって大きな支えになってくれている。

 彼女の加入に対し釈然としない態度を取っているのは、聡のみだった。単に新参者を警戒して気に入らながっているだけだろう、と和音は確信している。人に飼われ始めたペットが懐くまで時間がかかるのと同じだ。慣れてくれば徐々に柔らかくなるだろう。

 まだ暖房の効きが甘い練習部屋の冷たい床にあぐらをかき、和音はベースの準備をし始めた。

「そういえば、昨日の帰りに言いかけてた提案ってなに?」

 麻子に問う。

 すると、彼女は鞄からスマートフォンを取り出すと和音の隣に正座し、ユーチューブのアプリを開いた。検索画面で言葉を打ち、検索結果を流し見せてくる。

「考えたんだけど、みんなでユーチューブ始めたら素敵じゃないかなって」

「ユーチューブ?」

 意外な提案に驚いて、和音は麻子との距離を詰めて彼女の手元の画面を覗き込んだ。

「バンドでやってる人いるの?」

「うん、たくさんいると思う」

「ふーん、どんな? ごめん、俺、あんまりユーチューブとか詳しくなくて」

「ライブ映像の一部を流したりとか、ミュージックビデオ投稿したりとか。全然関係ない企画やったりするのもおもしろそうだし……宣伝にもなるし、いいんじゃないかなって……」

「へぇ、なるほど」

「みんな、その、見た目も有名人みたいだから人気出ると思う」

「見た目が有名人? なにそれ?」

 和音は笑った。一生懸命に説明しながらスクロールを繰り返す麻子が、少しいじらしく可愛く思えた。それに、ほとんど知らない世界を知ることができたので、ありがたい提案だ。

 すると、談笑の空気と共に部屋の扉が開き、幼馴染コンビが到着した。振り向いてお疲れ、と声をかけたが、朗らかに挨拶を返してきたゆめとは違い、聡のほうは瞬時に笑顔を引っ込めて仏頂面になった。

「てか聞いてよ、うちらさっきスナップ撮られちゃった」

 ゆめが和音たちの傍に座りながら言った。

「なんて雑誌だったっけ? 忘れたけど、ちゃんとバンドの宣伝もしてきたから安心しなー」

「宣伝ってレベルじゃねーだろ」

 聡はそう言いつつ、ゆめのかぶっていたキャップをさっと取り自分の頭に乗せた。ゆめは特に気にしない。

「それなー。付き合ってると思われたからバンド仲間でーす、こういうバンドですよろしくー、って言ってきた」

 煙草を取り出し火をつけた聡に向かって「くっさ」と顔をしかめ、ゆめはスマートフォンをいじり出した。

「二人とも、お似合いだもんね」

 麻子が控え目に言う。

「私も最初、二人付き合ってるのかと思ってた」

「え、ウケる」

 データもらったと言ってゆめが見せた画面には聡とのツーショット写真があり、確かに一見ちょっと目立つカップルのように見えた。ギターを背負ったパンクなファッションのゆめが聡の腰に手を回し、八重歯を覗かせ笑顔を見せている隣で、火のない煙草を咥えた聡が、ゆめの肩を組みながらニヒルな笑みを薄く浮かべている。

 そして、和音が先ほどの麻子の提案の話題を持ち出すと、二人は意外に食いついてきて乗り気な様子だった。

「ノンラビとか夕闇みたいな感じ?」と、ゆめ。

「ノン……え?」

 和音が聞き返すと、ゆめは再びスマートフォンの画面を見せてきた。今度はユーチューブの動画が流れている。知らないバンドのミュージックビデオだったが、耳に触る感じが心地良く、好きになる予感が拭えなかった。

「和音はもっとユーチューブとか見な? 練習ない日とか家で何してんの?」

「家で?」

 うーん、と考えながらなんとなく視線を横に流すと、まだ機嫌が悪そうな聡と目が合った。

「何してんだろ、俺。何もしてないかも」

「出た。和音の秘密主義」

 自分では何かを秘密にしがちだとは思っていないのだが、度々ゆめにはこう揶揄される。そうじゃないけどと言いながら笑うと、今度は麻子と目が合った。しかし、視線はすぐに逸らされた。麻子の頬がみるみるうちに赤く染まっていく。落ち着きなくしきりに髪を撫でつける仕草は、すっかりよく見るものだった。知らないふりをしているわけではない。

 ユーチューブ進出の提案は、案外すんなりみなの了解を得た。麻子は嬉しそうだった。バンドメンバーがその日の練習をしているうちに、麻子はなんとユーチューブとツイッターのアカウントを取得し、それ用のロゴデザインと企画を数本用意していた。

 

 *

 

 ゼミでの研究発表が予定外に延長してしまったので、和音はその日の練習を諦めようかと思っていたが、大学からの帰り道に「今日、練習休みですか? できれば今日お会いしたかったのですが……」と麻子からラインがきたので、何かあるのだろうかと気になって練習部屋へ立ち寄った。そこにはゆめと麻子がいた。

 ゆめは、和音の到着を待っていたかのように立ち上がり、「お疲れー」と言い残しあっという間に帰って行った。練習はそもそもなくなったようだ。

 すっかり宵も更けた真っ黒な窓が、和音と麻子の二人の姿を映す。和音はまだ冬の街を歩くような服装のままだった。口元まで上げたマフラーが肌をくすぐる。着苦しく感じてコートのボタンを外し、脱ごうとして後退すると、足元に散乱していた譜面をつい踏んでしまった。拾うため屈み、身を起こすと、麻子がついさっきより近くに来ていたので少し驚いた。

「あの」

 麻子の声が震えている。

 和音はもしやと思ったが、予感が当たっていたとしてもどうにも出来なかった。

「これ……」

 そうして目の前に差し出されたのは、オーガンジーの透けた袋に包まれた小振りな箱だった。麻子は手も震えていた。下を向いているのでよくわからないが、おそらく真っ赤な顔をしている。

「受け取ってもらえますか。め、迷惑じゃなければ」

 そこで和音は思い出した。今日は二月十四日、バレンタインデーだ。

「俺に? ありがとう」

 和音が受け取ると、麻子はほっとしたように微妙に微笑んだ。本命かどうかは聞かなかったが、答えはなんとなくわかってしまう気がした。

「じゃ、私はこれで……」

 麻子は用が済むと、和音を通り越しそそくさと扉へ向かった。

 ノブに手をかけると、もう一度お礼を言おうと振り返った和音に向かって、ようやっと顔を上げた。寒さの中を走ってきたかのように鼻先まで赤くしている彼女は、さすがに可愛かった。

「和音くんは他にもいっぱいチョコもらってるだろうから、私のは別に、食べなくてもいいから……」

「いや、俺、麻子ちゃん以外からもらってないよ」

「えっ?」

「うん」

 甘いものは好きなので単純に嬉しく、絶対に食べようと誓った。

「冗談ですよね? 和音くん絶対モテるのに……」

 その言葉には特に反応をしないでおいた。

 それから、もう時間も遅かったので麻子を自宅まで送っていった。彼女は実家から通学しているらしく、大学入学を機に田舎から出てきた和音とは育った環境が全く異なっていて、話をしていて面白かった。

「和音くんはどうしてバンド始めたの?」

 何かを聞きたそうにしてるなあ、と思っていたら、麻子がそう問うてきた。

「んー、なんでだろ。特別な理由があるわけじゃないけど」

「秘密主義?」

 隣を歩く麻子を見ると、なんと珍しい、悪戯っ子のような笑みで和音のほうを見ていた。へえ、そんな顔もするんだ、と思った。気持ち悔しくなったので、それらしい理由を述べることにした。

「せっかく田舎から出てきたし何か始めよっかなーと思っててさ。そしたらゆめからバンド誘われて、見に行ったらかっこいいじゃん、歌ってる聡。あいつに憧れて始めたところあるかも」

 帰宅後、箱をそろりと開けてみると、惑星の形をしたチョコレートが並んだ、小さな銀河系のような光景が和音を出迎えてくれた。よく見ると太陽系の惑星を象ったものになっている。甘い香りが鼻を撫でた。全て一気に食べてしまうのはもったいなかったので、まずは地球を模したひとつを口に含み、残りは箱ごと冷蔵庫へしまっておいた。

 

【第三話 中沢 ゆめ】

 

 麻子の提案から始まったユーチューブやツイッターなどを活用したプロモーション活動は順調に花を咲かせ、「この辺りで活動しているバンドのうちでははまあまあ有名」程度だった知名度から、「外を歩いていると声をかけられる」「音楽業界の人らしい人物がたまに見に来る」レベルまでのし上がった。SNSを眺めていると自分達の”ファン”と思われる人達が普通に存在するようになったし、エゴサーチをしてみると明らかに一定以上の人気があった。

 ゆめは驚き半分、わくわく半分の気分だった。昔からテレビで活躍する有名人に興味があり、その中でも特に音楽を生業としている人々に憧れていたため、今後の自分達に期待が高まった。しかし、いざ自分がその立場になってみると、少しの緊張もある。それでものんきにわくわくしていられるのは、当然ゆめの性格もあるが、一緒に活動している仲間を信頼し切っているからでもあった。

 次のライブが決まった。今回は、メジャーデビュー目前と言われているバンドから誘いがあり、対バン形式で開催することとなった。そのニュースを持ってきた窓口係の麻子は、非常に興奮していたのが見て取れた。

 ゆめは、麻子の変化を微笑ましく思っていた。最初は明らかに乗り気でなかった彼女が、どんどん自分達との活動に夢中になっていき、一生懸命にサポートしてくれる姿勢は嬉しかった。妹のよう。ゆめ自身も含め、演奏メンバーにはマネージングを得意とする者がいなかったこともあり、良かったなあと感じていた。

 夏が到来した。

 ゆめは大学のキャンパスをたらたら歩きながら、愛用のスマートフォンをいじっていた。すると、ポン、とラインの通知がきた。

「今日遅れる」

 聡だった。バンドメンバーのグループ内だ。

 ゆめは図書館前のベンチに腰を下ろし、適当なガムを取り出して口に放り投げながら返事を打った。

「新曲早くやりたーい」

「それの用意で遅れるんだよバカ」

 と、聡。自宅でギターを抱えながらデスクトップパソコンの前に座り、曲の制作をしている聡の姿が目に浮かぶようだった。だから今日、自主休講だったのか。

 そのまましばらくそこに座り、ゆめはスマートフォンを眺めていた。木陰が涼しいのでちょうど良い。

 何気なくツイッターを開く。すると、バンドのオフィシャルアカウントにたくさんのリプライが届いていることに気が付いた。

「ファンだったので悲しいです」

「相手誰?」

「和音くん説明して」

「あの女誰?」

 何事かと思い騒動の元を調べると、原因はすぐに見つかった。自分達のファンだと思われる匿名のアカウントが投稿した一枚の写真が拡散されており、それはベースを背負った和音と、後ろ姿の女性がふたりで笑いながら歩いている様子だった。加えて、和音の手には可愛らしい包みが施されたプレゼントが握られていて、女性の荷物まで持ってあげているようだ。角度による錯覚かもしれないが、和音が女性の額にキスしているようにも見える。冬の夜のようなので、結構前の写真だろう。

 あちゃあ、と思うのと同時に、自分達はそこまで人に騒がれるようになったのかあ、としみじみしてしまった。いやしかし、確かにメンバーの中でも和音は特に人気がある。SNSをチェックしていても、リーダーの聡を差し置いてかなりの女性票を獲得しているのはよくわかった。相手の女性が明らかに麻子の姿だったので、まずは安心したが。

 ゆめはそのツイートをラインに流した。メンバーのグループではなく、麻子個人にだ。

「バズってるよー」

「これで麻子も有名人」

「和音とうまくいったの? やったね」

 すぐには既読にならない。もしかしたら講義中かもしれない。

 ゆめは画面を上にスクロールし、麻子との過去の会話を見返した。活動の業務連絡の中に、度々恋愛相談が混ざっていた。麻子から初めて相談を持ちかけられたときは驚いたが、まあ、予想できていなかったわけではなかった。和音はいい人だ。よくわかる。容姿も整っている。だから当然、非常にモテる。麻子は恋愛経験が浅そうなので、余計にすぐに惹かれてしまったのかもしれない。

 それからゆめは立ち上がり、「あっつー」と独りごちながら歩き出した。麻子から返事はこない。

 練習部屋に着くと麻子がいた。ゆめからのラインを確認したあと、何と返事をして良いかわからないままここで一人でパニックに陥っていたようだ。

「私、そんな、和音くんと付き合ってなんかなくて……申し訳ない……」

 彼女は真っ青な顔をし、額に汗を浮かべていた。人の影に隠れるように目立たず堅実に生きてきた麻子にとって、これは酷な経験なのかもしれない。

 ツイッター含め、バンド全体のオフィシャルアカウントの管理を任されているのは麻子なので、彼女のログインしたリプライ欄が更新し続けられているのが、小刻みに震える手元に見えた。

「付き合ったわけじゃないんだ? この写真、めっちゃチューされてるように見えるけど」

「し、してないよ、そんなこと。多分これ、バレンタインのときの……」

「とりあえず聡に相談しよー。和音も気にしないでしょ」

 ゆめの想像通り、和音の登場に間髪入れず二人で事情を説明しても、彼は一瞬きょとんとした後に笑っただけだった。第一、和音はSNS等をあまり積極的にやっていないので、具体的なイメージがついていないのかもしれなかった。

 結局、聡は宵も更けてから顔を出した。煙草を噛み眼鏡をかけ、髭すらきちんと剃っていない聡は、完全にオフの出で立ちだったが、新曲は自信作のようだった。和音と麻子の写真騒動の件については、すでに知っていたのか、和音から説明と謝罪をしても「あー、はいはい」と淡白な反応だった。

「事実じゃないなら説明して謝っとけば。変に炎上したらめんどくせえし」

 床に譜面を広げて確認作業をしつつ言う聡に、和音は頷いた。

「そうだね。麻子ちゃん、ツイッター貸して」

 和音が麻子のほうに手を差し出す。

 すると、聡が作業を中断して言った。

「和音がやる必要なくね」

「え?」

「お前がやれよ」

 ゆめは最初、聡が誰のことを言っているのかわからなかった。視線の先を追うと、スマートフォンを胸に抱いた麻子が立っている。さすがに口を挟みたくなった。

「聡、それはひどくない?」

「なにが?」

「麻子が悪いわけじゃないじゃん。和音も悪くないけどさ」

 聡は麻子と極力関わりを少なくしているように思えるのが常だった。会話といえば、事務的な話しかしているところは見たことがない。和音はあまり気にしていないようだが、聡の麻子に対する態度は目に余るものがある。ゆめはもう一度反論しようと口を開いた。

 しかし、麻子は自分に非があると思っているのか、すぐに飲み込んだ。

「やります、私」

 と、スマートフォンを触る。動かす指はやはり震えていた。

 

 そんな一悶着があったあとでも、聡の持ってきた新たな楽曲は素晴らしかった。ゆめは昔から聡の作る音楽が好きだった。聡は、幼い頃はゆめのとなりでただ知らない音楽を歌っているだけだったが、それが楽譜に音符の形で並ぶようになり、徐々に磨きがかかり音符は譜面を泳ぐようになり、歌詞とともに命を帯びていく。その過程をずっと見てきたゆめは、特に聡の音楽に対して思い入れが深い。

「最高」

 と、聡の肩を叩く。

 聡にしては珍しい、直球な恋愛を歌った曲で、ロックバラードテイストのメロディに聡の通る声音が乗った胸を打つ曲だった。

 麻子は実家暮らしのため遅くまではいられないので、先ほどの騒動のあとに先に帰宅したが、和音も新曲はかなり気に入ったようだった。涙さえ浮かべている。

「ちょっとさらってくる」

 早速、和音は楽器を抱えて部屋の隅へ移動した。

 ゆめはヘッドフォンの音量を上げた。壁に寄りかかり、目を閉じる。今度は歌詞をよく拾いながら聞き込んだ。

 数分。そして、ぱち、と目を開けた。

「聡」

 ヘッドフォンを片耳外し、小声で聡を呼んだ。

 幼馴染はギターを抱えたまま首だけでゆめを振り向く。

「この曲って、」

 そこまで言うと、聡は人差し指を唇に当てて「シー」とジェスチャーした。

 聡の肩越し、和音はベースを弾きながら曲をさらっている。

 

 

 帰宅し、入浴後、ゆめはいつものように高校時代のジャージに着替えてベッドに寝転んだ。スマートフォンを開くと、すっかり大好きになった聡の新曲を取り込み、バックグラウンド再生を開始した。

 先日投稿したユーチューブ動画のコメント欄をぼうっと読んでいると、「この人達ただのなかよしじゃん」「1:24 ゆめの反応かわいい」「リーダーと和音のかえるのうた笑った」などの普段通りの感想コメントに混ざって、いまだに「和音の彼女」を突っついてくる言葉もあった。

 しつこいなあ、と少々苛立ちながら、そういえば今度のライブのお知らせはどのくらい反響があるだろうと気になり、ツイッターを確認した。投稿をさかのぼる。

 そこで違和感を覚えた。先立っての「和音の彼女」騒動のあとの、麻子が書いたであろう説明のツイートが見当たらない。不具合で表示されないのかと思い、ファンが呟きそうな単語で検索をかけてみても、それについて説明があったような形跡は見つからなかった。

 不思議に思い、ゆめは麻子に宛て、その投稿を消したかどうか確認するラインを送った。

 すぐに既読になった。なんだろうと思っていると、電話がかかってきた。

 驚いたことに、麻子は説明と謝罪の投稿をそもそもしていないと言った。しきりに謝るので、とにかく理由を聞くと、彼女は電話の向こうでついに涙声になってしまった。

「ごめんね、ごめんなさい……」

「うん、でもなんでツイートしなかったわけ? するって言ってたじゃん」

「う、嬉しかったの」

「え?」

「ファンの人達から和音くんの彼女だと思ってもらえて、嬉しかったから……」

 ゆめはつい愕然とした。

「え、でも、麻子は和音の彼女じゃないんでしょ?」

「彼女じゃない……」

 部屋には、聡の歌声が切なく激しく響いていた。

 

【第四話 仁平 聡】

 

 収容人数の多すぎない使い込んだライブハウスが好きだ。

 ライブ専用にしている勝負の革靴を履き、ステージ裏で声を出しウォーミングアップをする。そしてやがて時間がやって来る。スポットライトが落ちる。ステージへ踊り出すと、黄色い悲鳴と拍手が盛り上がりを見せる。ドラムが鳴り始めたのを歯切りに、ゆめのギターが走り出し、和音のベースが地を這い始める。聡はマイクを握って息を吸った。

 

 *

 

 バンドという形に興味を持ったのはふとしたことからで、作詞作曲を始めてみたのはもっと不純な思い立ちだった。誰かの心に響く音楽がやりたい、なんていう大層な動機ではなく、自分の中の爆発しそうな感情を音符と歌詞にして吐き出している、というような感覚だった。子どもの頃から、音階の上下に従って歌詞でメロディーを奏でるのは得意だったが、自分の思っていることや考えていることを会話の中で言葉にするのは苦手だった。

 聡にとって、楽曲は唯一の自己表現方法でもあるのだ。

 初めてのワンマンライブは、お気に入りのライブハウスで開催された。見事に満員で、乗りの良い客層だった。オープニングアクトでは、聡達の大学で軽音サークルをやっている後輩が演奏した。心から楽しく、気持ちの良い一夜だった。

 打ち上げは、練習部屋のある建物からすぐ近所の居酒屋を貸し切って行われた。メンバーだけでなく、ライブハウスのスタッフやこれまで協力してくれた関係者を呼んだ、賑やかなパーティーになった。

 メンバーはみな結構お酒が飲める。麻子だけが弱く、普段から飲まなかったが、聡にとってそんなことはどうでもよかった。

「聡、今日もさいっこーだったよ!」

 ゆめが駆け寄り、抱き着いてきた。慣れたものだ。

 聡はふざけてぽんぽんと頭を撫でた。

「ゆめもギターソロ完璧だったな」

「まじ? やったー!」

「落ち着け、飲みすぎ」

「まじで聡に一生ついてく」

 ゆめは酔うと抱き着き上戸になる。

 テンションの高い幼馴染を適当にあしらっていると、ポケットに突っ込んであるスマートフォンが震えたのがわかった。影で見ると、またツイッターだ。通知がまだ止まらない。

「ねえ、本当に最高のライブだったよ」

 というふわふわしていないゆめの声に我に返り、聡はツイッターを閉じて顔を上げた。

「本当に。」

 それからゆめはくるりと踵を返した。彼女が仲の良いスタッフの傍へ移動したのを見届けたのち、聡は人混みの向こうに和音の姿を見つけた。色のついた酒を片手に立っている。壁に沿って置かれている椅子に座った麻子と喋り、なにやら楽しそうに笑っていた。

 聡は歩き出した。煙草がないのが口寂しい。騒ぐ人をかき分けかき分け、声をかけてくる知り合いをやり過ごし、やっと近くまで到達した。

 和音は背中を向けていた。反対にこちらを向いて座っている麻子は、やって来た聡に気が付いたようだった。聡はそのままその場を通り過ぎた。すれ違いざま、麻子からの死角をわざと避けて、和音の空いた手の指を軽くすくって行く。和音は触れられた指を一瞬見たあとすぐに振り向き、去って行く聡の後ろ姿を目で捉えた。

 

 *

 

 今年のバレンタインデー。

 聡は、偶然会った学科の友人などからもらったチョコレートを口に含みながら、夕飯の香ばしい匂いがする帰路をひとり、歩いていた。一日中図書館にこもって論文をひたすら書き進めた疲れから、瞼と肩が非常に重かった。しかし甘いものは好きだ。煙草を咥えなくて済む安堵感に鼻からため息をつく。

「今から帰るけどなんか買ってくものある?」

 送ったラインのメッセージは既読にならない。風呂にでも入っているのだろうか。

 夜道、コートのポケットにしまい込んだスマートフォンを気にしながら歩いていると、ふと、目の前に知った背中があることに気付いた。

「和音」

 呼ぼうとして、やめた。隣に麻子がいたからだ。

 一目見ただけで状況は理解できた。おおよそ、今日の練習帰りに麻子が和音にバレンタインデーのチョコレートを渡したあと、和音が自宅まで送ってくれる場面というくらいだろう。和音はマネージャーの荷物まで持ってやっている。そのうえ手には、可愛らしい包装をした小箱、だ。

 聡は静かにスマートフォンを取り出した。

 そして、無音シャッターのカメラアプリを起動する。

 あとはファンのふりをして、ツイッターの匿名アカウントを取得するだけだった。

 

 あえて遠回りをして帰宅すると、時刻はもう深夜近かった。足で探ってスリッパを履き、暗い部屋に電気を灯し、居間のソファーに荷物を下ろしてエアポッズを外した。廊下の向こうから、シャワーの湯が浴室の床を叩く音がする。

 聡はもらったチョコレートが溶けないよう、冷蔵庫を開けてそこの手前にしまった。するとそこには先客がいた。聡同様、溶けないよう冷やしているのだろう。

 一瞬だけ迷ったあと、聡はまだシャワーの音が聞こえてくることを確認し、先にしまってあった小箱に手を伸ばした。中には太陽系を象ったチョコレートが並んでいた。地球だけがぽっかり、ない。

 聡は火星のチョコを口に放り込み、奥歯で一気に噛み砕いた。

 

 *

 

 酔いも回ってきた。それから煙草でも吸うかと外に出ると、空には満月があった。聡はガードレールに腰掛け、折れた煙草を火を付けずに口に咥えた。背中に車の流れを感じる。

 しばらくそこでひとり、ぼんやりしていると、ほろ酔い状態のゆめと帰り支度を終えた麻子が外へ出てきた。

「聡。なにしてんの」

 期待していた人物とは別の人間の登場に内心、肩を落とした。しかし、ほろ酔いのゆめは聡のそんな気落ちなど露も知らず、へらへらと隣へ来て同じようにガードレールに寄りかかったので、聡は彼女の肩を組んで丁寧に切り揃えられたボブの毛先に悪戯に触れた。ゆめは気にしない。

「麻子、もう帰るって。親がキレるから。だから二次会はうちらだけでやろー」

 麻子はなぜか聡と目を合わせないように努めているように見えた。トートバッグの取っ手を握って地面を向いたまま、何も言わない。

「麻子?」

 ゆめもその異変に気付いたのか、横から麻子の顔を覗き込んだ。

 すると、聡は立ち上がった。顎を上げ、自分より身長のない麻子を下に睨む。咥えていた湿気た煙草を噛み、歯の間から息を吐いた。

 麻子も顔を上げた。見たこともない、闘志を露わにした鋭い目で、聡を睨む。

 ただ事でない雰囲気にゆめは目を見張った。しかし、聡と麻子の意識はもう先ほどの初ワンマンライブの冒頭に注がれていた。

 スポットライトが落ちるライブハウス。聡がステージへ踊り出すと、黄色い悲鳴と拍手が盛り上がりを見せた。ドラムが鳴り始めたのを歯切りに、ゆめのギターが走り出し、和音のベースが地を這い始める。

 聡はマイクを握って息を吸った。

「次は新曲だ。突然現れたよくわかんねー奴にふらふらしてる恋人に向けて書いた曲」

 麻子はステージ裏で聡達を見ていた。背中に汗が流れるのを感じた。

「俺はそいつに、一生お前のために歌うから一生俺についてきてくれと言った。まあ、その時は一生の友達も一緒だったが……とにかく、そう誓ったのに最近そいつはよそ見してるみたいだから」

 ざわつく会場をよそに、聡はマイクスタンドからマイクを外して歩きながら喋り続けた。

「そんなガッチガチの恋愛ソングだ。歌詞を書いていて吐き気がしたけど――」

 会場が笑った。

「――伝わるといい。惑わされるな、と」

 聡はくるりと客席に背を向け、呟くようにそう言った。新曲への期待に胸を高鳴らせ、熱狂的な盛り上がりをふるう観客を背中に、聡は和音のことだけを見つめていた。射抜くように。

 麻子はそこで、和音の秘密主義の理由を悟った。

「麻子」

 ゆめが呼びかけた。麻子は手が白くなるほど強くトートバッグを握り、聡を上目に睨んだまま、下唇を噛んでぼろぼろと涙を流していた。

「ごめん」

 ゆめが麻子に向けて何に対して謝罪をしたのか、聡はなんとなく勘付いたが、知らないふりをした。

 

 *

 

 麻子はバンドから離れるかと思われたが、結局マネージャーとしての活動は続けることとなった。和音のの騒動についてはユーチューブに改めて説明動画を投稿し、熱りをおさめた。彼女はそれ以後、動画や写真にも顔を出すようになっていったが、全ては誤りだったためさほど叩かれずに済んだうえ、演奏メンバーの三人とは雰囲気が全く違うことが結構受けて徐々にファンに受け入れられていった。

「今から帰る」

「飯どうする?」

 帰路。送ったラインのメッセージには即、既読の文字がついた。

「寿司の出前とった」

 と、寿司に顔が描いてあるスタンプがポン、と浮かぶ。聡は思わず吹き出した。

 玄関を開けるとシャンプーの匂いが漂っており、ただいまと呟くと「ほはへりー」という声が居間から届いてきた。扉を開けると、髪の濡れた和音があぐらでベースを抱えていて、ピックを口に咥えたまま「ふひひてるひょ」と言った。寿司きてるよ、か。

「なんで寿司? めでたいことでもあったのか」

 エアポッズを耳から抜きながら聞くと、和音はピック弾きに転換しつつ答えた。

「何もないけど食べたくて」

 寿司、美味しいよなーと呑気に笑う。

 聡はしゃがみ、和音の頬に軽く口付けた。ベースの音が止まった。

「今年はバレンタインチョコ何個もらった?」

 聡が聞くと、和音はむっとした。

「今年ももらってねーよ。大学の奴らはみんな俺と聡のこと知ってるし。何年目だと思ってんの」

 和音のベースを弾く動作が復活した。聡は悔しくなったが、演奏されているそれが聡の楽曲だったので許した。

 初のワンマンライブで披露した新曲の聡のMCは、以後インターネット上でも広まり様々な憶測が繰り広げられた。今、大半のファンは聡の言った「ふらふらしている恋人」がゆめで、「一生の友達」が和音だと推測しているらしい。つまり、聡とゆめが付き合っていると思っているようだ。聡はそれをくだらないと思う。性別なんて。そんな先入観を持ったまま生きて何になる。

 聡は和音の背中を穏やかな目で眺めた。恋人に人気があるのは喜ばしいことだ。しかし、次々に現れるよくわからない敵達を抜かりなく虱潰しにするのは一苦労だった。

 前途多難。

 ツイッターを開くと、件の写真の拡散源になっている匿名アカウントにまた通知が溜まっていた。聡はそのままログアウトした。しかし、アカウントは消さない。

 

 終

 

 → サイドストーリー 【黒澤和音と仁平聡】