31歳になりました、と近況

 

 昨日で31歳になりました。

 誕生日に対する印象は近年よく変わるなあという自覚。

 10代の頃はちょっといい食事ができる日、20代前半は見栄を張らなきゃいけない日、20代後半はひたすら反省と自分を律する日、みたいな思いや役目があったけれど、昨日は目覚めてすぐ「ああ、31歳まで生き延びたんだな」とふっと思った。

 最近は世界情勢の過酷さとか日本の政治のクソさに触れざるを得ない毎日なうえ、色々な哲学・心理学の本を読んだりシオランの書籍に感銘を受けたこともあって、死生観や反出生主義について考えることも増えてきたのだけど、30代になって「自分もいつか死ぬのだ」ということを妙に現実的に受け入れ始めた気がしている。スマホに故人アカウント管理連絡先を設定してみたり、以前より運転に気を遣うようになったり、いつか死ぬことを前提に生を進んでいる実感がなんとなく常にある。20代まであった無敵感はいずこ。

 

 私は育ってきた家庭の事情もあって、文字通り「死ぬこと以外かすり傷」な思想で人生やってきたし、なにか危ない展開になっても「まあ死ななきゃなんとかなる」と思っていた。本物の殺意を前にしていて本気でそう思うようになってしまっていたのだと解釈している。

 例えば子どもの頃、受験に失敗したときに「まあ死んでないから大丈夫だ」と思ったり、バイト先でトラブルを起こしたときに「まあ店長に殺意はないだろうから大丈夫だ」と思ったりしたのは明らかに精神が健全ではなのだけど、そういった少女時代を過ごしてきてしまったので、そこから少し距離を置けた今、やっと現実的で健全な意味で死に向き合えるようになってきたのかなとか。

(そもそも「いつか殺される」が前提の人生って何だったんだ)

 

 ところで今年もプレイリストを作ったので貼ります!

 ここからも飛べます!

 誕生日を迎えたときに前の年(歳)のプレイリストを作ってみると楽しいよ、と教えてくれたのは友達なのだけど、やってみると本当に楽しい。

 どんな一年だったのか振り返りにもなるし、内省にもなるし、その曲と一緒に思い出や感情もよみがえるし、自分はどんな音楽を聞くとコンフォートな状態になれるのか、または気分が上がるのかなど、自分で理解しようとするのって結構大切。少なくとも私にとっては。

 私は音楽が大好きで様々な種類のものをたくさん聞くようにしているけれど、それはもう日常生活の支えになっているので欠かせない存在です。

 

 ローテンポでメロウな音楽を流して一人の時間をゆっくり過ごすことがなによりのリラックスで、30歳のプレイリストもそんな感じの面々が多い。プラス、フェミニズム!な音楽。自分を感じる内向的な音楽、自分を信じる強気な音楽。クラシックはピアノ独奏に触れていることが多かった。

 つまりそういう30歳だったのだろうね。毎日自分で自分を癒そうと、感情に向き合う努力をしたり思うままに足を運んだりした。毎日政治のこと、社会情勢のこと、フェミニズムのことを考えた。寄付や署名やデモで行動もした。日々感じる理不尽に怒って、考えて、労った。美術や歴史や語学なんかの勉強もしたりして、なんだかいっそう内向的になったなあと思うのと同時にフットワークも軽くなって、今はとにかくやりたいことをやる時間という感じです。

 そんな日々を最近は過ごしています。

 

 今年も加藤み子を忘れないでいてくれて、おめでとうございますと声をかけてくださった方がいて泣きそうになった。心からありがとうございます。懐かしい気持ちに浸りたくなって、過去の自分の作品を見返したりした。いやあ幼かったなあ、と素直に思えて安心した。いつかネットで私を知ってくれた人に「加藤さんの作品もですけど生き方とか考え方が好きです」と言ってもらえたとき、なんであの頃の私はあんなにトゲトゲしていたのだろうな(想像は安易)(非常に反省しています)。

 どんな31歳になろうと心身ともに健康で、責任と正義を忘れずに、いつ死んでもいい人生だったと思えるように誠実に穏やかに生きていきたい。周囲の人々や環境への感謝と尊敬も忘れずに。

 

 *

 

 小学生の頃、多分6年生のとき、放課後の教室で友達にサプライズで誕生日を祝ってもらったことがあった。

 私はそのとき、ものすごく嬉しかった本心に反して硬直してしまい何も言えなくて、何もできなくて、無言のまま知らんぷりしてススーっとベランダに出て行った。あの日の友達の、困惑して顔を見合わせていた様子、私の背後でなにか囁いていたざわめきを、今でも気味悪いくらい鮮明に思い出すことができる。同じくらい鮮明な思いで反省し、申し訳なかったと悔いている。

 でも事実、あの頃の私には咄嗟の「ありがとう」「嬉しい」すら表現できなかった。小6の私を愛おしく思う。誕生日を、生を、誰かに心から祝ってもらえる幸福を知らなかった少女。感謝や愛を伝える表情、言葉を選べなかった少女。

 思い出は忘れていくのが正常である。私は小学生の頃の夢を今でも見る。こんな31歳、恥には思っていない。