推しという行為

 

「推し」という言葉が広く一般的に使われるようになってずいぶん経つ。三十手前、私もこの時代のよくある若者像の例に漏れず、そのシーンごとの「推し」を一生懸命推しながら生きてきた一人だ。

 仮に、ここでの「推し」を推す行為の定義を、ただ曲がリリースされれば聞くとかただ映画に出演すれば見るというほどの応援の姿勢ではなく、もっとディープで、その人をまるごと好きになるようなものとすると、おそらく私の初めての「推し」はモーニング娘。の矢口真里さんだ。小学生低学年の頃だった。そのとき使っていた下敷きからハンカチから、なにもかもがモー娘。かミニモニ。だった。当時はモーニング娘。が大流行していて、友達もみんな彼女達の曲を歌えたし「モー娘。だと誰が好き?」という話題によくなった。やぐっちゃんはあまり人気がないメンバーだと言われていて、私が胸を張ってやぐっちゃんが一番好きと言うと笑われることすらあった。

 でも、私にとっては、やぐっちゃんがいつでも一番かわいかった。一番きらきらしていた。どんなに端っこに立たされていても、私の中では毎日センターだった。当時すでに低身長にコンプレックスを抱いていた私は、小さくても堂々としているやぐっちゃんが大好きで、ああなりたかった。学校の休み時間に校庭で「モー娘。ごっこ」「ミニモニ。ごっこ」をするとき、私は絶対にやぐっちゃんの役を買って出てやぐっちゃんのパートを歌った。

 あの感情はきっと、羨望だった。自分との共通点を見つけながら、彼女がアイドルとして発していたプラスのエネルギーを受け取って、幼いなりに彼女のようになりたいと願っていた。やぐっちゃんのようになればああやって笑えると信じて疑わなかった。「やぐっちゃんみたいなアイドルになりたい」という初めて抱いた夢を父親に強制的に消されることになろうと、彼女は私にとっての夢だった。

 小学生高学年から中学生にもなると、周りの友達が皆、ジャニーズを追いかけ始めた。私はそんな中、当時放送していたドラマ『ごくせん』をきっかけに小池徹平さんのファンになった。多分、これまでで最も盲目的に推していたのがこちらの「推し」だ。徹平くんの出るドラマや歌番組はもちろん、映画もラジオも雑誌もチェックして、ウエンツくんとのやり取りを会話ごと覚えてしまうくらい夢中になって追っていた。グッズも買ったし、自分用にこしらえた手作りのグッズも持っていた。

 今でいう「リアコ」だったと思う。リアルに恋をしていた。徹平くんが笑えば私も笑ったし、徹平くんが泣けば私も泣いた。徹平くんに会うときにかわいいと思ってもらえるように、突然洋服や髪型なんかを気にし始めた。ドラマで共演した女優との熱愛報道が流れたときは本気でショックを受けて、学校で友達に励まされながら大泣きしていた。ただ、現実生活の中でも恋はしていて、なんならあの頃は、幼稚園からの幼馴染みの親友の女の子に恋愛感情を抱いていたから、恋に忙しすぎる時期だった。バイセクシャルなんて言葉も知らず、同性愛に対する理解など全くなかった父の説教を毎晩のように聞いていたあの頃、親友への恋は誰にも告げられずに終わったが、徹平くんを推している自分のことは、自慢するみたいに他人に言いふらしていた。

 もしかしたら、「推し」は生活環境や社会認識の変化にも関連や影響がある可能性が高い。高校生の頃、私の「推し」は再び女性に戻った。きゃりーぱみゅぱみゅさんだった。きゃりーちゃんを知った時の衝撃は、それはもうものすごかった。私の世界に雷が落ちて、常識という地面が真っ二つに割れて、中からバタコさんが投げたアンパンマンの顔みたいに新しい地球がポーンと出てきたようだった。

 きゃりーちゃんは、私に新しい世界を示してくれた「推し」だった。独創的で規範から外れたグロテスクな世界観を生み出す彼女は、それまで変化が嫌いで他人との横並びから外れる恐怖に萎縮していた私に、挑戦への勇気を与えてくれて、冒険の楽しさを教えてくれた。いわゆる「原宿kawaii」の虜になって、抑圧に中指を立てるためにポップアートに触れて、自分のためだけに世界を創造することを楽しんだ。きゃりーちゃんのことはなんでも知りたかったから、テレビはもちろん雑誌も全部買って切り抜いて冊子にしたし、本も買ったし、きゃりーちゃんが好きだと言った作品やアーティストは全てチェックした。

 この人のファンでいることが誇らしい、という感情を初めて抱いた。きゃりーちゃんは、怒りを原動力にしてカワイイを作っているアーティストだ。あんなにカワイイのに、そのカワイイを馬鹿にする男性に向かって「うるせえ」と言う。それまで男性に見せるためにかわいくしていた私を、自分のためにかわいくなるよう背中を押してくれた。ゴリゴリの家父長制家庭のど真ん中にいた私は、彼女の一挙一動に励まされて、救われた。きゃりーぱみゅぱみゅの音楽を見て聞いているとき、私はきゃりーちゃんだったし、きゃりーちゃんは私だった。彼女の目を通して、私も世界を見ていた。

 大学生活も後半になって、短期間海外で暮らしたりシンガポールに住む彼と付き合ったりしていた頃は、英語の勉強のために洋画を集中的に見ていたから、自然と海外の俳優に目がいくようになった。デイン・デハーンさんを推していた頃の私は、以前と比べると落ち着いた推し活ができるようになっていた。純粋に彼の演技に心打ち抜かれて好きになった俳優だったが、彼のために、その頃からネットで海外の番組や特集も見始めて、「推し」に関係のないところまでも視野が広がった。辞書を引きながら英語のインタビュー記事を読んだり、バラエティ番組での会話を聞いたりしていた。デハーンの英語を真似て喋ってみたりしていた。

 そのうち、デハーンは映画『クロニクル』で共演もした女優アンナ・ウッドさんと結婚して、やがて父親になった。小池徹平さんを推していた頃の記憶があった私は、このとき、デハーンの結婚のニュースに自分がこれっぽっちもショックを受けていないことに気付き、しみじみとした。それに、デハーンの隣と腕の中にいたアンナと子が、天使のような桃色のほっぺで林檎のように笑っている様子を見て、胸がいっぱいになって言葉が詰まった。私は、デハーンが結婚したり育児したりする姿を見て「ああ、この人が年を重ねて目尻のシワが増えて輪郭が丸くなっていく、その姿をずっと見ていたい」と思った。

 この「推し」への感情が何なのか、私にはまだわからない。画面を通して、画面に映る用の姿しか見せないまるきりの他人を、どうして心から大切に思うのだろう。まるきりの他人に、どうして心から感動し、心から穏やかな生活を願うのだろう。まるで子を思う親の姿ではないか。もっとも、毒親育ちの私にとっては子を心から思う親の姿なんて、それこそ「画面用」なのだけれど。

 BTSのジェイホープさんに「落ちた」瞬間、私は、最後の推しに出会ってしまったな、と思った。あの夜のことは今でも鮮明に覚えている。当時住んでいたアパートでひとり、深夜にヘッドフォンで初めて彼のソロ曲「Just Dance」を聞いたとき、歌詞を同時に読みながら聞いて、下品にもなぜか「この人多分いま誰かに恋はしてないんだろうな」と思った。この人、本気でアーティストだけやってるんだろうなと、なぜか思った(一言添えておきたいが、私はアイドル業をやるために恋愛などのプライベートを制限することには一切賛成していない。)。この感覚が何だったのかは未だわからないが、あの夜は何度も何度もこの一曲だけを聞いてものすごく胸を痛めた。すごくすごく苦しくて、本当に手で心臓を押さえていたのを覚えてる。私は絶対に手の届かない世界を絵画や映像で見るのが大好きだが、その感覚に似ている。切なさもあるが心地良くて泣きたい感じだ。

 ホソクさん(BTSのジェイホープさん)は現在進行形の「推し」なので、あの夜の「最後の推しに出会ってしまった」の直感が正しかったのかどうかは定かではない。ただ、「正しい選択をしてこの人をもっと早く知りたかった」という後悔の気持ちと、「今この人を知ることができたのだから私のこれまでの選択は間違っていなかった」という安堵の気持ちが、心臓のあたりで混ざり合って血管を通じて脳天まで行き届き、私に涙を流させた。いつだって、新しい自分に出会う瞬間は怖くて切なくて愉快なのだ。

 今の私は自分のことが好きで、いつでも自己表現がしたくて、同時にこの社会の差別と暴力を絶対に許したくない大人になった。だから、ホソクさんが自分自身を軸に世界を見て、自己表現に情熱を燃やしていると、「もう絶対にこの人を一生推したい! 百億年経っても全人類で一番の人だ!」とオタク特有の規模デカ発言で愛を語りたくなる。ホソクさんが子どもや暴力の被害者などを支援する活動をしていると、まるで自分がやってやったかのような巨大すぎる感情で感激し、満ち足りて、私の思考やものの見方を肯定されたような気持ちになってしまう。

 ただ、「推し」との同一化を通じて見えるものは、決して自分のポジティブな部分だけではない。家族に愛されて家族を大切にしているホソクさんは、どうやら自宅にプロに撮影してもらった家族写真を大事に飾っている。私はそれを見たとき、ホソクさんが一瞬全く知らない人のように思えてゾッとした。ホソクさんのあの、愛されて育った人間が放つ空気感は、私の手には決して届かないものだ。私は、ホソクさんを通して世界や社会と繋がっているけれど、ホソクさんほど自分にストイックに貪欲には絶対になれないし、ホソクさんのような他人への目配りは真似できない。そして、ホソクさんのような、母への愛を歌って父の激励の言葉に涙を流して姉の髪へ花を飾るような生活は、私にはもう絶対に叶わないのだ。

「推し」とは一体なんだ。奇妙で魅惑的だと思う。そして、ありようによっては過激で冷酷だ。「推し」という存在は、その姿に推している自分自身を見て成長やケアの手段として使用することもできれば、自分の承認欲求の解決口として消費することもできる、執着して自己の正当化のために利用することすらできるし、ただ、何の激情も抱かないことだってできる。

 今、私は、デハーンが子どもを抱いてクシャクシャに微笑んでいる姿をインスタグラムで見たときと似た思いで、違う国からホソクさんの成功と平穏を祈っている。あのとき、やぐっちゃんも、徹平くんも、きゃりーちゃんも、デハーンも、たしかに私という世界そのものだった。そしてホソクさんも今、もしかしたら、私という世界そのものなのかもしれない。