第二の故郷 秋田

 

 乗り換えた仙台から発車した新幹線の窓をぼうっと眺めていると、広がる田が、その全体の面積のうち雪の白で染まっている割合がだんだん大きくなっていった。駅構内にある有名なお店で食べた牛タン定食が、まだ立派に腹を膨らませている。眠気もある。隣に座る夫は持ってきたパソコンを広げ、友人の結婚式で流すお祝いムービーを作成している。

 大曲からは、新幹線が在来線の線路を在来線のスピードで走っていく。しかも、前後逆向きで走行するので、慣れないうちにじっと窓の外を見ていると気持ち悪くなってくる人もあるそうだ。そのうち新幹線用の線路を秋田県内にも走らせるつもりはあるが、まあとりあえず在来線の線路でなんとかしようとしているのか、そこらへんの行政とJRが絡んできそうな事情は知らないが、新幹線に乗っているのに横の車道を走っている自動車に悠々と抜かされるのを見ていると、ぬくぬくと愉快な気持ちになってくる。私は秋田がすっかり好きだ。

 四方を背の高い山で囲まれた中に街があるというのは、関東の平野で生まれ育った者にとっては非常に慣れないものだ。しかし、秋田出身の夫にとってそれは故郷の景色であり、秋田に暮らす夫の両親にとっては日常の風景であり、私にとっても、いつの間にか「帰ってきた」印になっていた。結婚の良い点のひとつに、ふるさとが増えるというものがある。

 初めて秋田を訪れた日の夜、夫と(そのときは入籍していなかったのでまだ"夫"ではなかったが)夫の地元の友人夫婦と私の四人で、秋田駅から近い店を三軒ほどはしごして飲んだ。友人夫婦はとても気さくで気持ち良く、秋田デビューの私にこれでもかというほど秋田名物を食べさせてくれた。期待を裏切らず、みな酒に強かった。一軒目では午後七時になるとなまはげがやって来て、飲んでいる席に来てどやどやとその場を盛り上げた。秋田出身の三名に聞くと、中は地元の大学生アルバイトらしい。喉が潰れそうな声を出していた。飲みの席になまはげが現れるシステムは、観光客にとっては非常に楽しいものだったが、実物に迫られると結構こわかった。彼らに良い時給が払われていたらいい。

 男鹿半島で食べた海鮮丼が美味しかったのを覚えている。岬も、日本海らしい風貌で美しかった。前述のなまはげは男鹿半島が発祥の地のようで、道を車で走っていたら突然巨大ななまはげ像が立っていたりしたので、愉快だった。秋田で最も好きな場所、角館は、何時間でも滞在できるほど心安らぐ素晴らしい街並みで、次はぜひ桜の季節に行きたいと思っている。しだれ桜の角館を満喫したい。

 昨年の夏には「大曲の花火」に行ったのだが、その夏はちょうど甲子園で吉田輝星選手を始めとする秋田の金足農業高校が活躍したときで、「金足農業感動をありがとう花火」を見ることができたので、よかった。貴重なタイミングだった。私はこれまではスポーツ観戦にあまり興味がなかったのだが、野球経験者でスポーツ観戦好きな夫と一緒にいると、自然と目にする機会が多くなる。それに加え、「地元だから」という理由だけで彼らの勝利に涙を流すほど金足農業高校を全力で応援している夫を見ていると、私まで応援したくなってしまう。郷土愛の深い人は素敵だ。そういえば、その夏は秋田駅の改札を出たところに「祝 準優勝金足農業高校」と横断幕が張ってあったのだが、その「準」の文字がとても小さく、明らかにあとから貼って付け足したものだったのを見て、笑いながらあたたかい気持ちになった。優勝を芯から信じて、盛り上がったテンションで幕を作成したのか、とにかくそれがさらに秋田を好きになる要素だったことは確実だ。

 今、これを夫の実家へ向かう新幹線の中で書いているのだが、ふと窓の外を見たら軽く吹雪いていてぎょっとした。関東では見られない積雪の厚みだ、車の高さほどある。小さな黒いコンテナの上にこんもり丸く真っ白な雪がかぶさっていたが、あのようなフォルムのお菓子があった気がする。外は寒そうだ。川面が凍っている。寒さが大の苦手な私は、正直に言うとこの季節の東北に頭から突っ込んで行くのには恐怖があったのだが、今回は夫の祖父の三回忌なので行かないという選択肢はなかった。私が夫の涙を初めて見たのは、彼が祖父との思い出と亡くなった当時の話をしていたときだった。

「別の国に来たみたいでしょ」

 窓の外を見ながら、夫が言う。

「でもこれ、全然積もってないほうだな。昔はもっと積もってた」

 外はもう真っ白だ。新幹線の窓に雪が当たり、チリチリカチカチ音がする。隣を、ニュースでたまに見るオレンジ色の除雪車が走っていた。