ブラウンのオーバーレイ

 

 秋は勝手に切なくなるし背伸びがしたくなる。写真にマットな加工をしてしまうし、そんなに甘い気分でもないのにココアが飲みたい、服と靴とメイクやピアスまでブラウン一色で玄関を出てしまった朝は少し後悔するけれど、それはそれ、十八時には暗くなってしまう帰路で金木犀の香りを見つけてはまた切なくなる。乾燥していて静かで優しい秋は多分多くの人が胸を締め付けられる感情を持つと思うけれど、そういえば私にとって秋という季節には様々な意味があって、だからこそ毎年懲りずに夏が過ぎると苦しくなるのだった。

 まだ学生の見える世界でしか暮らした経験のなかった頃の私は、ちょっぴり複雑だった家庭の事情で二年ほど引きこもり状態のようになった時期があって、大学のキャンパスに別れを告げる就職を考える時期にはまさに、ぐらぐらしている崖の端に立って数十メートル下に生い茂る針葉樹の森を見下ろしているような気持ちで生きながら死んでいた。希望した就職先に春から働きに行くことが決まった頃、秋のあの日、私は自分を変えたくて変わりたくて泣いた。ひとり、深夜の真っ暗な自分の部屋で、同級生達がおひさまの下で肩を並べて笑っている写真をSNSで見て、なんで自分は今ここでこんなことをしているのだろうと悔しくて泣いた。肌寒い夜だった。外には車の音もしない。隣の部屋で夢に泳いでいる弟を起こさないように声を殺して、ずいぶん長いこと一人で泣いていた。あの頃は自分を好きだなんてとても言えなかった。今思うと、とてもかわいそうで惨めで愛おしい自分だった。

 それから色々な経験をした。季節は不思議だ。何度巡ってきてもいつも同じ季節には同じ感情になる。春には新しい出会いを期待するそわそわした気持ちになるし、夏のことは春の途中から待ち望んでしまう、全力で楽しんでやるぜという熱く暑い勝負心が疲れてきた頃にちょうど秋は顔を出して、ぎゅうっと心臓をわしづかむ、浪人の経験のせいか冬になるとセンター試験前の緊張感を今でも感じるし、ああまた春が来る、花粉症の薬をもらいに行かなきゃ、と、あっという間に一年なんて回ってしまう。

 秋の切なさが好きで、いくつになってもこの切なさを全身で受け止めたいと思う。誕生日もある。そういえば二年前の誕生日、インスタに「生まれ変わっても私がいいな」という文とともに夫との写真を投稿したら(あの頃はちょうど結婚式の準備などをしていたなあ)、その冬にあった同窓会で、成人式以来会っていなかった旧友に「インスタのあれ見て本当に最高の大人になったんだなと思った」と言われてすごくすごく嬉しかった。

 今の私は生まれ変わっても私になりたいとまで思えるらしい。生まれ変わっても私になって、同じ友人や夫に出会って、もう一度私で死にたい。